大切なことを学びました。
皆さんこんにちは。あんです
今日もブログをご覧いただきありがとうございます^^
さて、立て続けに離婚の話ばかりしてきましたが
今日はちょっと小休止ということで、他愛もなお話を…^^
私には年の近い姉がいます。
生まれた時からずっと一緒で、何をするにもどこへ行くにも
とにかくずーーっと一緒でした。
そんなことが原因か否かはわかりませんが
幼稚園でも小学校でも中学校でも高校でも、
どうにかして友達を作ろうという気持ちがありませんでした。
姉はいつも私のことを優先に考えてくれていたので、私が自我を貫いてわがままを言っても理解してくれましたし味方でいてくれました。
そんな姉と一緒に過ごすことが当たり前でしたので、心のどこかで無意識に他者と姉とを比べてしまい、姉がいるから友達がいなくてもいいと思っていたような気がします。
また、新興宗教を熱心に取り組んでいた両親のもとで育ったこともあり、私の周囲には常にたくさんの大人たちがいました。
そして大人たちは、幼い私が何をしても「元気だね」「かわいいね」と褒めてかわいがってくれました。
そんな事が重なってか、子供のころから自分の意見は母以外には通りやすいと感じていた私は、友達の顔色を伺ったり、あんなことを言ったらだめなんだとかこんな態度をとったら引かれるんだとか、そういった意識がほとんどないまま成長してしまいました。
子供のころは学級員や部活の部長等、リーダー的なことを任されることが多かった私ですが、大いに勘違いをして育った私は、大人になってからが大変でした。
まず、「普通」がわからない。
普通は~じゃない?と言われても、「は?普通って何?」っと屁理屈めいた感情を抱いてしまっていました。
それから、自分の考えを聞き入れてくれないと不機嫌になったりもしていました。
また、基本的には人の意見を聞かない。自分で責任を取るからいいんだ!と強気なことを言うが、そこにまるで根拠がなく、情熱だけで何とかなると勘違いしていました。
そして大きく欠落していたのが「思いやりの気持ち」でした。
これは、実に酷い話ですが
私は2人目の夫(Bさん)との出会いで初めて気が付いた感情でした。
私は困っている人を助けたり、親切にする事に抵抗がなく、というか
むしろほっておけないタイプです。
が、家族や身近な人には「私のことを大切にしてくれているからこのくらいのことは大丈夫」と、相手の気持ちに甘えて、自分勝手な振る舞いが多くなりがちでした。
(これも後になってから気が付いたんですけどね・・・汗)
ところがある日Bさんと言い争いになり、話し合いがヒートアップする中
Bさんが「君には思いやりの気持ちが足りないんだよ」と言ったんです。
よくよく掘り下げて聞いてみると、
これを言ったら相手がどう思うだろう?と考えて話をするのが大人のマナーだし、それは相手のことを考えるという事だ。
君は自分の行動で相手が何をどう感じるかを全く考えずに行動しているように見える。
という事でした。
私は心底ハッとしました。
完全なる図星。
まったくもって大当たりだったからです。
確かに当時の私は、自分のことは棚に上げ、相手に
私の身にもなれ!とか、私のことわかってない!等と好き勝手な事を言っていました。
このことを機に、私はあらゆる場面で「思いやり」という言葉が頭に浮かび
感情をそのまま言葉にするのではなく、自分が発する言葉や行う行動が他者にとってどのような影響を与えるのかを考えて行動するようになりました。
残念ながらBさんと私は共に生きる中で、どうしてもDVが起こってしまう状況を改善する事が出来なかったため、離婚することになってしまいましたが
彼からは本当に多くのことを学びました。
(っと、勿論1度目の夫のAさんからもたくさんことを学ばせてもらいました)
離婚はできることならせずにいられるのが一番いいとは思うのですが
せざるを得ない場合もあります。
しかし、出会いや共に過ごした時間は絶対自分の人生の糧になっています。
私に生きる上で大切な「思いやる力」の大切さを教えてくれたBさんには、今でもとても感謝しています^^
っと、またまた長くなってしまいましたので、
本日はこのあたりで^^
記事をお読みいただき、少しでも感じるものがありましたら
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それではまた次の機会に~
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!